CODAのメール
あるコーダ(30歳代・男性)の方から、インタビュー後にいただいたメールです。
私自身の経験や思いと重なり、数年経った今でも心の奥底にずっと印象深く残っていた文章です。コーダの経験や思いはさまざまですから、「自分は、どういう気持ちかな?」などと考えたりしながら、また、これまでの自分を振り返ったりしながら、じっくりと読んでみてくださいね。
コーダAさんより
(インタビューを終えて)
先日はありがとうございました。
また、昨日はメールをいただきましてありがとうございました。
私自身も、インタビューをしていただいたことで自分自身の気持ちや思いを改めて見つめ直すことができ、今もそれがいい意味で響いています。
自分にとっては、両親は聞こえない人であるが、それは眼鏡をかけている人や背が低い人、ナヨナヨしている人と同じような感覚でした。
幼い頃に親に連れられて、身体障害者更正会の行事に参加していても、様々な障害を持っている人と出会っても、「そういう人なんだ」という受け止めしかなかったです。
だから、遠い所が見えない人に代わって見てあげるのと同様に、背が低い人に物を代わりにとってあげるのと同様に、耳が聞こえない人には教えてあげるのが当然のことだと思っています。
しかし、みんながみんな そういう訳ではなくて。
それが「すごい優しいね」と過剰な評価を受けたり、「可愛そうね」と悲劇の対象になったり。
耳が聞こえないとわかれば、すぐに表情を変えて困った顔をしてしまう大人の人。そんな人を数多く見ていました。
自分の両親は、そんな面倒な人?迷惑をかける人?
ただ聞こえないだけだから、ゆっくり口をパクパクしたり、身振りや筆談などをすれば通じるのになぜしないの?という思いもあり。
そのような迷惑をかけるくらいならば、嫌な顔を見るくらいならば、自分がした方がいいし、そのような気持ちを自分は味わいたくないから、両親と離れたり。両親は悪くないのにね。
特別、両親が耳が聞こえないからと手話をした訳でもありません。
それは、両親が手話を僕とコミュニケーションをする際にしていなかったから。
でも、耳が聞こえないことは十分理解していたし、それに対することは当たり前にしていたと思います。親と喋る時は声は出さなかったし、呼ぶ時は机をドンドンしていたし、遠くに離れている時はタオルを丸めて投げていたし(笑)
今の記憶に残っている小さい頃見ていた両親は、お話をしてくれ、悪いことをすれば怒られ、御菓子やおもちゃを買ってくれた、ごくごく普通?の両親です。僕との間では。
今のコーダへの支援は、セルフヘルプグループのような集まりが場合によっては必要かなと思います。絶対ではなく、必要な子に限ってですが。それと何かあった時に話や相談ができる相手・場所が必要かなと思います。ひとりで抱え込んでしまうので。
それと、手話通訳者など支援者側にもっとコーダの気持ちや、聞こえない人を特別視しない価値観を教える取り組みや、社会全体としては、聴覚障害者に直接コミュニケーションできるような人が少しでも増えていけばと思います。手話通訳者も必要ですが、緊急時や日常のちょっとした場面で手話ができる人がいる方が、コーダにとっては、ホッとするのではと思います。
ホテルの受付で・・・通訳しなあかんなぁと思っていたら、受付の人が手話ができて嬉しかったことが昔ありました。
聴覚障害者の両親に対しては、手話サークルや子育てサークルなどの情報提供や共有できるような、孤立しないような場の提供。手話サークルなどは、親にとっても情報共有できるし、その間、コーダ同士でも友達と親のことを気にせず遊べる場所になっていると思います。自分自身も友達と遊ぶために、手話サークルやろう協の行事に参加していた時もあったので。
そして今回の調査で明らかになるような通訳をすることに対する取り組みができればいいですね。
長々とした文章になってしまいました。
インタビューはすでに終わっているので、逆にこうして文章を書いたことで混乱したら申し訳ありません。好きなように扱って下さい。
ありがとうございました。